研究内容

多くの動物は、さまざまな感覚情報を外界から取り込み、その情報を脳内で処理し、最終的に目的にかなった行動を選択します。このような行動選択の基本になるのは、脳内の神経回路のはたらきです。私たちは、動物が適切な行動を選び出すための神経回路メカニズムを明らかにすることを目標としています。

私たちの研究室では、ゼブラフィッシュ稚魚の視覚系をモデルとして、この問題に取り組んでいます。ゼブラフィッシュの脳は、脊椎動物に広く保存された基本構造を持ちますが、他の脊椎動物モデルと比較すると、脳を構成する細胞数が少なく、より単純な神経回路を形成しています。また、ゼブラフィッシュの脳は透明であるため、生きたままの状態で神経活動を可視化したり、光を用いて神経活動を操作したりするのに適しています。さらに、トランスジェニック法、Gal4/UASシステムなどの遺伝学的手法が確立されているため、特定の細胞タイプを再現よく標識することが可能です。私たちの研究は、このようなゼブラフィッシュ稚魚モデルがもつユニークな特徴を最大限に活用し、行動を生み出す神経回路の普遍的な原理を明らかにすることを目標としています。

1. オプティックフロー情報処理を司る神経回路

私たちが歩いたり、車に乗ったりしている時、周囲の景色は流れるようにして動いているように感じられます。このような視覚情報は、「オプティックフロー(optic flow)」と呼ばれます。オプティックフローは、自分自身がどちらの方向へ、どのぐらいの速さで動いているのかといった、運動パターンを予想するのに重要な情報源となります。私たちはゼブラフィッシュを用いて、オプティックフローを検出する神経回路、特に前視蓋(pretectum)に注目して解析しています。これまでに、ゼブラフィッシュ仔魚における網羅的な神経活動イメージングから、前視蓋に方向選択性をもちオプティックフローに応答する細胞が多く存在することを示しました(Kubo et al., 2014, Neuron)。また前視蓋には、前後方向に動くオプティックフローと回転して動くオプティックフロー(時計回り・反時計回り)を区別して応答する細胞が存在したことから、前視蓋神経回路は異なるパターンのオプティックフローの検出を行っていることを明らかにしました。さらに、前視蓋神経回路の入力・出力経路を明らかにし、網膜で検出された方向選択的な情報が前視蓋に伝達され、前視蓋で異なるオプティックフロー・パターンに対する選択性が計算され、最終的にこの情報が運動系神経回路に伝わる、というモデルを提唱しました(Kramer et al., 2019, Neuron)。

 

2. 錯視を用いた視覚神経回路の解析

錯視は、「目の錯覚」とも呼ばれ、実際の視覚情報とは異なる視覚を生じることを指します。錯視は、「現実世界の視覚情報」と「脳内での知覚」がかけ離れる、というユニークな状況であり、このような状況に注目することで、知覚がどのように形成されるかを明らかにする重要なヒントとなるのではないかと言われています。錯視研究は、長い間ヒトを対象として進められてきましたが、近年では様々な動物が錯視を生じるということが多く報告されてきており、動物種を超えた共通の神経メカニズムがある可能性があります。私たちは、ゼブラフィッシュで錯視の一種として知られる「運動残効(motion aftereffect)」が生じることに注目し、錯視に特異的に応答する神経細胞群を同定しました。さらに同定した神経細胞群が視覚情報処理に重要な役割を持つことを明らかにしました(Wu et al., 2020, Neuron)。運動残効以外にも様々なタイプの錯視が知られており、今後はこのような錯視現象が生じるメカニズムや神経回路を明らかにしたいと考えています。

3. 特定の神経細胞タイプを標識する技術の開発

神経活動の網羅的なイメージングの発展により、特定の神経機能を持った神経細胞を同定することが可能になってきました。その一方で、このような神経細胞を特異的に標識したり、操作したりすることが技術的なボトルネックとなっています。私たちは、BACトランスジェネシス技術を用いて、特定の細胞タイプを遺伝学的に標識するツールの開発を行いました(Förster et al., 2017, Sci Rep)。また、最近では、神経活動依存的な標識とシングルセルRNA-seqを組み合わせることで、特定の機能を持つ神経細胞を遺伝学的に標識する技術の開発を行っています。